uresino_sayumi’s diary

株トレーダーの自分語り(´・ω・`)

利を伸ばす

先週に続き水曜もメンタルが悪かった。朝もあまりいいトレードができなかったしメンタルが限界で、皆が儲かってるように思えて、値動きを見返すと取れていたはず。って思うものが多すぎて、チャートを見るのが嫌だと思う時があって、市場が開くのが怖かった。

 

このままトレードをしても大損すると思ったから、例え儲ける可能性を捨てるとしても画面の前に居ない方がいいと思った、だから断腸の思いで売買を休んで出かけた。

出かけても株価は気になるしあんま楽しくないしで早めに家に帰った。自由な時間を持て余してしいた。

 

家では株以外にしたいことが余りなく、でもここで株に関する何かをしたら休みにならないと思い、ここ最近してないこととして本をゆっくりとぼーーっと読んでいた。そしたら脳がフワッとした感じがして休んでる。って実感が沸いて来た。

 

疲れを感じる能力が戻ってきたのかもしれない、翌日の木曜も売買を休んだ。メンタルだめな感じは続いていたし、昨日より休むことに抵抗がなかったから。休みにやりたいことが昨日よりはあったから。

稼げる機会を無駄にしてるなーとは思ったけど、朝10時頃普段ならpcの前に居る時間に散歩をしたり、快活クラブに行ったりした。久しぶりに笑った気がした。

 

金曜日も休んだ。忙しいから後でやろうと思っていた細かい雑事をした。床を雑巾で拭き掃除したり、靴磨きしたり、手帳の予定を整理したり、後でやろうと思っていたことをやった。稼ぎには繋がらないけど、でも地に足の着いた一日だった。

 

土曜も日曜も休みを重視した。先週より株の腕は上がってないし研究は全くしてないけど、でも先週よりはメンタルがマシになった。月曜日は売買するつもりだ。

メンタルが改善したのは放置している銘柄が上がったってのも一因だろう。含み益は人を幸せにするなぁ。

 

資産425,920

先週末+33839

 

間違えること

最近、分散や利を伸ばすという言葉の意味を少し理解した。決断の意味を少し理解した時に似ている。正直、こんなことなら誰かに教えて欲しかった。理解できなくて悩んでいたことは大したことなくて、気づいてみれば単純な概念だった。

dekoboko-tousinikki.hatenablog.com

 

リスク管理が大事。ってのは大体の株の本で共通しているが、他は結構矛盾する箇所がある。逆張りと順張り。銘柄を絞ってトレードして稼いだ人、銘柄は分散すると良いという人。ルールには絶対従うって人、ルールに時には裁量を混ぜた方が良いって言う人。

読めば読むほど矛盾は増えて行った。自分に都合のいい人の納得できる所だけを参考にしていた。

マーケットの魔術師とかに出てくるトレーダーは大金で商品とか大型とかを触っていて、仕手株など活況な株をトレードする俺に分散投資が必要だとは思えなかった。

 

俺はここ十年大体一銘柄に資金の大半を入れていた。二銘柄を持ってスイングしたことはほとんどない、銘柄を分散することに抵抗感があった。

分散投資は自分の予想が外れることが前提にあるから。俺は自分の予想が外れることが前提の分散は好きになれなかった。

 

だからか買い下がりをしようとしても我慢できず買値が近い場所で買い増した。一回目の買いから下がることを前提に二度目の買いをする。というのが苦痛だった。

分散して利確もできなかった。半分売ったらもう半分をすぐに売りたくなった。半分を返済した株価と上がった株価を比べて、もっと待てばもっと儲かったのに。あーやっちまったなー。って考えていると残りの半分をどんどん売りたくなってくる。すぐにでも下がるような気がしてくる。含み益が減る可能性に耐えられなくて残りも売る。そして上がっていく株価を見て後悔した。

 

分散。というのは間違えることを前提に銘柄選択、買い、売りをしましょうね。ということだ。それは仕手株だろうが商品だろうが変わらない原則だと今なら思える。でも俺は、そんな間違えることを前提にした後ろ向きな考えを受け入れるのに随分と時間がかかった。

 

資産392,081

先週末-150

致命傷ではないけれど

メンタルが悪い時にトレードをしてはいけない。みたいなのは100回くらい読んで何度も実感していたけれど、今回も又やってしまった。クソトレ連発してやけ食いして睡眠が浅くなって、イラつきのままに衝動的にクソトレして、他のことをやる気がなくなり(以下ループ)

って感じの一週間だった。放置していたスイングが+だったから大きく資産が減った訳ではないけど、デイの今年の利益を吹き飛ばしてデイ収支マイナス突入ですねこれは。

 

 

資産392,231

先週末-11927

株とか

株以外でのことでメンタル崩壊中、「最近は神絵師のうでが食べたいな」をよく聞いてます。

 

 www.nicovideo.jp

 

 

本屋で新nisa特集とか多くて株ブームを感じます。前はnisaでアンジェスを買うのが流行ったんですが、(SBIでのnisaランキングみたいなのの上位だった)今回のnisaでは何の株が上位に来るんですかね?一単元が安い株かなー? nisaランキングを見てると次の暴騰の株がわからないかなー?今のランキングはぱっと見普通なんですよねー。

site2.sbisec.co.jp

 

資産404,159

先週末+18618

検証したくない

Pythonでプログラミングを書けるようになったのが稼げるようになる転機だったと思う。検証をすることは大事だと本にも書いてあるし、経験からも実感している。稼げるようになるために必用だと思う。でも、検証したくない。

検証をすると俺が考えたアイディアが実は大したことない。って数字は言ってくるかもしれない。

検証をすると俺が考えたアイディアはネットに転がってる手法未満だって突き付けてくるかもしれない。

検証をしてダメなら検証に使った時間は無駄になるかもしれない。そもそも俺が稼げるようになる。って考えが思い上がりなのかもしれない。

 

そんなことが頭の中を巡りアイディアの検証をする気が起きない。無駄な検証をするくらいならネットで動画を巡っていた方が100倍マシなような気がしてくる。

本当はそうじゃないんだろう。成功とは良い検証結果とは数多の失敗の積み重ねで、失敗は成功に不可欠なんだろう。

 

何もしないなら株の腕は上達しない、こうやって何もしないで状況が好転することを祈るのは、塩漬け株がいつか買値を超えますように。と祈るのと大差ないのだろう。

もっと稼ぎたいならもっと検証をする必要があるだろう。

少なくとも、検証をせずに思い付きで売買するのは論外で、そーやって今まで損をしてきた。

そして今週は含み損を感じるなかで検証をする必要性を痛いほど感じた。それでも検証をしたくない。あとどれくらい損を重ねれば俺は検証をしたくなるのだろう?痛みを忘れなくなるのだろう?

 

資産385,541

先週末-11715

富の偏在=機会の偏在

1△年前、当時見た雑誌だかで億万長者の比率ってのを見て、親の資産を引き継ぐか起業するか、投資家になるかが億万長者になりやすい方法って書いてあった。
 
俺は小学生ぐらいの時、親から遺産なり会社なりを受け継がない人間が億万長者になれる可能性は1%ぐらいだと思っていた。何となくそのぐらいの数字だと思った。そして1%くらいの人間がなれるなら、小学生の段階で株で億万長者になる。って夢を見ている大人びている自分なら、他の人間より金への欲求が強い自分なら可能性は50%くらいになるって無根拠に思っていた。
 
(小学生の頃は自分を特別だと思う心理が強かったんですねぇ……。当時流行ってたゲームで、友達の中では敵なしだった俺氏は迂闊にも、「今度世界大会でるから(今度日本一を決める大会の予選があるけど、俺くらい強ければ多少苦戦しても世界大会には行けるだろうから、今世界大会に出るって言ってもいいやろ)」と言い、後に恥じをかいたこともある。なんで昔はあんな自分は何でもできる。って思えたんだか……)
 
ヒューマン・ネットワークなどのネットワークを扱った本が好きだ。ネットワークは経済や格差や成功とかを表すのに適してる理論だと思うのでシックリくる。
経済的な格差は日本やフランスは富裕層が固定気味で、アメリカは流動的。ってのを何かで見た。何となくそーだろーなーと思った。
 
昔は意思と市場環境がよければ誰でも稼げるようになると思っていた。才能が同程度なら誰でも似たような確率だと思っていた。
でも、親が資産運用に慣れている総資産が五千万な世帯と、親が資産運用したことない総資産が五百万の世帯、子供が億万長者になる可能性は全く違うだろーなーって思う。多分、五千万の方の子供が五百万の世帯の子より金持ちになるだろう。
 
億万長者になれるチャンスや可能性も資産分布のように、大きく偏ってるのだと思う。
“席”や方法があることは確かだけれど、そこに行きつく確率は個々人違っていて、意思だけではどうにもできないことがある訳で。だから格差は世帯をまたぐ訳で。そーすると疑問が沸いてきた。
 
Q 世帯資産が高いほど子供が億万長者になれる可能性が高いとしたら、あなたが億万長者になれる可能性は?
 
負けた時はどーでもいいことを考えがち。もっと稼ぐのに良い親だったら勝てたのに。って結論に持って行くかのような自問、負けた時は負けた理由を他者に押し付けたいのだ。
 
資産は先週末より火曜日引け換算で-

部屋掃除と秋の空

世の中は周りの人間は、俺が完全な人間になってくれるのを待ってはくれない。

完璧にマスターした。って言えることは特にない。それでも何かを始めなければ取り残される、それに気づいたのは何時だったか。

 

ある時部屋を綺麗にすることができた。

抱き枕カバーと抱き枕本体を買ったことでベッドで生活していた俺は移動を余儀なくさた。掃除をしないと抱き枕を背もたれにして一日を過ごすことになり、好きなキャラクターのデザインを下敷きにすることは考えられず大掃除を決意した。

 

机の上にノーパソを置くために机に置いていたものを大体捨てた。長時間座ってられるように新しい椅子を買った。押し入れに物を突っ込むために色んなものを捨てた。色んな可能性を捨てた。

返さないだろーなーって思った本、いつか返しに行くかもって思ってたけどその可能性を捨てた。貰ったけど使わなかったプレゼントの中身、「プレゼントしたアレどうだった?」そう聞かれるのが怖くて捨てられなかった。でも捨てた。

始めたけれど全然使ってないダンベル、間違って買ったusbケーブル、カビ臭がする好きだった漫画。

 

拭き掃除をして本棚を買って整理して、二週間くらいして随分部屋の装いは変わった。

色々捨てた。思い出とか約束とか好きだったものとかも。捨てたことを後悔するかもしれないけれど、それでも捨てないと部屋が綺麗にならないから。

最後のゴミ袋を捨てた後、ゴミ収集車が来て空になったゴミ捨て場を見て喪失感を感じたのを今でも覚えている。

 

数年後なんかの本で決断の重要性が書かれていた。曰く、決断とは他の可能性を切り捨てることで、だからこそ価値があるのだと。

他の可能性を捨てることで残ったものの価値が輝くのだと。それを見て決断ってのは部屋掃除だなーって思った。俺は過去の選択を後悔することが多いけど、それはアレを捨てなければよかった、コレを捨てなければよかった。って部屋掃除後に嘆くのに似ているのだろう。嘆いた所でゴミ捨て場に行った所で、焼却されたものは元の姿に戻らないのに。

 

資産397,256

先週末+9625