uresino_sayumi’s diary

株トレーダーの自分語り(´・ω・`)

理想郷としての手法

統計的に優位性がある手法があれば株で勝てるようになると思っていた。エントリーしてから上がるかどうかの不安がなくなると思っていた。

含み損に苦しむことがなく、楽々損切りできると思ってた。含み益がなくなっていくのを見ても早く売らなきゃって焦りで安売りしなくなると思ってた。

 

でも、そんなことはなく、手法を得てもやっぱり損切りは痛いし含み益が減るのは苦しい。

昔より勝ちが増えて負けが減った。だから、損切りをして気分が落ち込み腹痛を紛らわすために何かを食っていたのは減ったが、買った時ももっと上手く取れたはず。って叱責が頭の中でグルグル回り、腹痛は頭痛に変化した。

相場では手法の優位性はどこかに忘れ、恐怖が頭を支配している。

 

今使ってる手法を作るまでは、ビジネス書に傾倒していた。

コレがあれば人生上手く行く。ってのは苦しい時ほど救いの象徴として妄想していた。金であり理解のある家族であり、相場の環境であり、俺でも取れるような銘柄であり。これソレがあればもっと俺の人生上手く行くのになーってずっと思っていた。

 

上手い人がツイッターなどで誰かにアドバイスをしているのを見ると、どーして俺じゃなくてそいつなんだ。俺の方が苦しくて何もなくて、snsで自分の苦境をアピールするのが上手いだけの人間より救われるにあたいする。って思いが心の底にあった。

 

自分は不幸で何かを得てなくて、それを人のせいにしていた。気づけばそーやって生きてきた。それは儲からない思考だった。

でもまぁ、自分の現状を人のせいにせず自分のせいだと受け入れたら急に勝てるようになる訳でもなく、過去がやり直せる訳でもない。苦しい理由は自分のせいだという理解は良薬は口に苦しってレベルではなく、そんな苦い薬を飲まなきゃ治らないならそのままでいい。って言いたくなるほどだった。

しかも、ビジネス書とか読んで前向きになって、何とか結果はすべて自分に責任がある。って受け入れても一度ロスカをしたらすぐ被害者モードに入りはじめ、二度三度のロスカ、あるいはビジネス書を読んでから数日たったら、やっぱり元に戻っていた。

 

ビジネス書を読んでいると、まるで結果を自分の責任だと受け入れられれば全てが上手く行くように思える。でもそれは、少なくとも俺には当てはまらなかった。俺は何度も何度も他人のせいにして生きてきた。

自分の責任だと受け入れる。ってのは大事なのかもしれないけれど、けれどそれは、俺の場合は、何度も何度も繰り返し行わなければいけなかったのだろう。

著者には合っていたことが、俺には合っていなかった。著者が数度で出きることを、俺は何度もしなければいけなかった。そんな事実を俺は受け入れられなかった。

 

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